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【馬に関係する北海道方言】ばくるの語源

北海道の方言に、「ばくる」という言葉があります。「ばくる」とは、「交換する」という意味です。「おもちゃをばくりっこしよう」、「お弁当のおかずをばくろうよ」のような使い方をするので、互いの持ち物を取り替えっこするという意味合いが強いですね。

「ばくる」という方言は、北海道の他にも青森県や秋田県、山形県、岩手県や宮城県の一部でも使われるそうです。
ところで、「ばくる」の言葉の由来は何なのでしょうか?
今回は「ばくる」の語源について調べてみました。

馬喰(ばくろう)とは?

【馬に関係する北海道方言】ばくるの語源

「ばくる」の語源となった言葉は、「馬喰(ばくろう)」という語です。馬喰とは、馬や牛の売買や仲介をおこなう商人のことです。現在の職業に言い換えると家畜商にあたります。

馬喰は「伯楽(はくらく)」、「博労(ばくろう)」とも呼ばれ、中国では馬の良し悪しを見たり、馬の治療をおこなう人のことを指していました。
日本でも13世紀頃は「馬薬師(うまくすし)」と呼ばれ、馬や牛の診察をしていましたが、16世紀には家畜を売買する仲買人としての商売が確立しました。

どんな仕事だった?

【馬に関係する北海道方言】ばくるの語源

馬喰は、馬や牛の仲買人でした。16世紀には全国各地で馬市が開かれていましたが、馬を求める人は特定の階級の人々でした。この時点では馬を扱う商人を馬喰とは呼ばず、伯楽という呼び方が一般的でした。

17世紀に入ると、農耕や荷物の運搬に馬を用いることが庶民の間でも一般的になりました。宿場町や市場町に馬喰と呼ばれる商人が誕生し、馬喰が集まって住む地域は馬喰町と呼ばれました。今でも馬喰町という地名は、各地に残っていますね。

馬喰は、馬の生産者から馬を買い、農家へ売ることで利益を得ていました。農家の人々は馬の生産地まで行って馬を買い付けることができなかったので、馬喰は農家にとってはなくてはならない仲買人でした。馬を求めて全国の馬産地へ買い付けにでかけるため、馬喰は経済的に裕福な人がおこなっていました。

馬喰という職業は、昭和まで続きました。しかし高度経済成長期に入ると、農業も機械化が進み、農作業に馬を用いることはなくなりました。そして馬喰も次第に減少していきました。

馬喰宿とは?

【馬に関係する北海道方言】ばくるの語源

日本にはかつて、馬喰宿と呼ばれる宿泊施設が全国にありました。現在では、青森県八戸市にただ1軒が残るのみとなってしまいました。

馬喰は、馬や牛の売買の交渉のため、かなりの遠隔地にまでに出かけていきます。その頃の移動手段は牛車でした。今よりも長い時間を費やして牛や馬の産地へ出かけていったため、馬産地である北海道や東北には、馬喰が宿泊する馬喰宿が沢山ありました。

しかし馬喰宿とは、馬喰だけが宿泊した宿ではありません。馬喰宿は、馬に荷物を背負わせ、それを各地へ売り歩く商売をしていた人々が宿泊する宿でした。

宿の奥には馬の繋ぎ場があり、馬に背負わせていた荷物は、宿の広間で売ったそうです。

荷物を運ぶ手段が馬から車へと変化したことで、馬に荷物を運ばせて売り歩く商売はなくなりました。そのため、馬喰宿も徐々に減少していったのです。

売買されていた馬

【馬に関係する北海道方言】ばくるの語源

馬喰によって売買されていた馬は、主に農耕で使用する馬や、荷物を運ぶ荷駄馬(にだば)でした。地域によっては農耕に馬ではなく牛を使用していたこともあり、馬喰は牛も扱っていました。

馬喰が取引する馬は、すぐに働くことのできる馬がほとんどです。しかし時には子馬を安く仕入れ、仕事を覚えさせてから売ることもありました。その場合は育成期間の餌代、世話代などをかなり上乗せして販売していたので、馬喰は現在の家畜商よりもはるかに儲けの多い商売だったのです。

これに対して、大名が乗るような駿馬を扱う人は「馬事師(うまごとし)」と呼ばれていました。馬事師は大名家に仕える武士でした。大名家から馬を預かって調教したり、自分で仕入れた馬の調教をおこなって大名家に売っていました。

馬喰が主に扱う馬は、速く走る乗用馬ではなく、重い荷物を運んだり、農作業をおこなう働き手としての馬だったのですね。

まとめ

【馬に関係する北海道方言】ばくるの語源
いかがでしたでしょうか?

北海道の方言「ばくる」の語源は、「馬喰」でした。

馬喰とは馬や牛の売買の仲介業のことです。現在でも、家畜商として馬や牛などの売買を手がけている人はいますが、馬喰という言葉はほとんど使われることはなくなりました。

馬喰の扱う馬は、農耕馬や荷物を運ぶための駄馬でした。
昔は仕入れた馬を農家へ高値で売っていたため、とても利益の高い商売でした。現在は、適正価格での売買をおこなっているため、利益はさほど多くはありません。

日本でも有数の馬産地である北海道だからこそ、現在でもこのような方言が残っているのでしょうね。

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