乗馬初心者さんも知っておこう!馬事公苑について

馬事公苑の歴史

東京都世田谷区にある「馬事公苑」を知っていますか。馬事公苑と言えば、何をイメージしますか。大きな競技場でしょうか。それとも会場としても使われたオリンピックでしょうか。馬事公苑はJRA(日本中央競馬会)が運営する馬事普及の拠点です。では、いったい、いつ、どのようにその歴史は始まったのでしょうか。
1940年9月から10月に予定して東京オリンピックに向けて日本の馬術選手を育成する目的で開設されました。しかし日中戦争の影響等から日本政府はIOCに7月に開催権を返上したため、実現できませんでした。
1948年には「騎手養成所」を復活させました。
1950年には第1回長期騎手講習が開始されました。
1964年にアジア地域で初めての東京オリンピックで、馬術競技が馬事公苑で行われました。
1982年に競馬学校開校、騎手要請業務のすべてを競馬学校に移管しました。
2016年12月31日をもって、2020年東京オリンピックに向けて会場整備を伴う工事のため休苑になりました。その後は、栃木県宇都宮市に事業所を移転し、2022年秋頃に世田谷に戻る予定です。
2021年、東京オリンピックの馬場馬術の競技会場となりました。

役割と出身の騎手

馬事普及の拠点として開設された馬事公苑ですが、休苑を迎えるまでのその役割と出身の騎手について詳しく見ていきます。

馬事公苑の役割

馬事公苑は、JRAが運営していることから馬と関わりの深い場所です。しかし、その広大な敷地は、地域の人たちにとって馬に興味がある、ないに関わらず、大きな役割をもっていました。休苑前の世田谷区の馬事公苑の役割を振り返ってみましょう。

馬がいる場所として

馬事公苑は、人馬の育成や馬術訓練、馬術競技会の開催、競馬の騎手養成を行う施設として開苑されました。そして馬事公苑には、乗用馬や元競走馬、ポニー、演技する馬など様々な馬がいて、乗用馬や元競走馬は馬術技術向上のために、ポニーはポニー競馬や週末に子供を乗せるために、演技する馬はショーをするなどそれぞれ活躍し、馬事普及の拠点として役割を果たしてきました。
また、2021年の東京オリンピックでは、競技会場となりました。

地域の人たちにとって

馬事公苑は、JRAが運営しているといっても、馬に興味のない人にとっても大きな役割を持つ場所になっていました。武蔵野自然林、大きなひょうたん池、ピクニックができる環境、きれいなお花畑。地域の人の憩いの場となっていました。また、それだけでなく、いざというときの広域避難所にもなっていました。
このように休苑前の馬事公苑の役割は大きなものでした。地域の人たちにとっても、馬に興味のある人にとっても、馬事公苑のリニューアルオープンは待ち遠しいものです。

馬事公苑出身騎手

現在、JRAの騎手になるにはJRAに付属する競馬学校という教育訓練施設で、必要な訓練を3年間行い、卒業する必要があります。しかしこれは1982年からで、それまでは馬事公苑の分苑、騎手養成所で騎手になるための訓練がされていました。最終年である32期生まで、多くの騎手が誕生した中で、どのような騎手がいたのでしょうか。

花の15期生

「花の15期生」と呼ばれたのは、1964年に入苑した16名です。そのうち14名が騎手になりました。15期生は華やかさと同時に悲劇性も持ち合わせた世代とも言われています。具体的には、岡部幸雄、柴田政人、伊藤正徳の3人が日本ダービーで優勝騎手となりました。また、福永洋一は中央競馬の発展に大きな貢献のあった騎手・調教師で功績を讃えられる、顕彰者でもありました。しかし、そんな優秀な騎手が多くいながらも、石井正善、佐藤政男の二人が落馬事故が原因で殉職、福永洋一、柴田政人らは落馬による怪我により引退をしています。

馬事公苑出身、最終年32期生

馬事公苑出身の最後の32期生には、坂本勝美、中舘英二、木幡初広、谷中公一などがいます。なかでも木幡初広は同期の中舘英二が2015年に引退した後、自身が引退する2018年までは馬事公苑出身の最後の騎手として活躍しました。木幡初広が現役でいる間に、長男、次男、三男も騎手になり、2017年4月の中山競馬場で親子4人が同一レースに出場しました。これはJRA史上初のことだったようです。
また、同期の坂本勝美は1998年に騎手を引退し、その後は調教師になり、2012年には調教師も引退しています。そして、2015年よりJRA競馬学校の教官になっています。当然ですが、同世代、同期でも騎手人生の送り方はそれぞれのようです。

今回もオリンピック会場

1964年、東京オリンピックの馬術競技の会場となった馬事公苑は、2015年に2020年の東京オリンピック・パラリンピックの会場に決まりました。しかし、競技会場として、世界基準を満たしていないことから、全面的な行うことになりました。工事は2段階に分かれ、1期目ではオリンピックに向けた工事、2期目ではオリンピック後に仮設部分を解体し、緑化整備を中心とした工事をする予定です。そのため2016年末をもって馬事公苑は休苑となりました。
そんな馬事公苑で行われる、オリンピック・パラリンピックの馬術競技は、男女の区別がなく同じ条件で行うところが特徴的です。そして、一言で馬術競技といっても、オリンピックの種目となっているのは3種類あります。
一つ目は、コース上に設置された大きな障害物を飛び越える「障害馬術」、二つ目はステップなどの演技の正確さ、美しさを競う「馬場馬術」、三つめは障害と馬場の2つにダイナミックなクロスカントリー走行を加えた「総合馬術」の3種類になります。そして、この3種類はそれぞれ、個人戦、団体戦があります。
しかし、パラリンピックでは障害馬術、総合馬術がなく、馬場馬術のみになります。

今後の予定

現在、世田谷の馬事公苑はリニューアル工事中のため休苑中です。現在の事業所は栃木県宇都宮市にあり、工事が完了したら、リニューアルオープンの予定です。リニューアルオープンの予定は2022年の秋頃とされていましたが、オリンピックが1年延期されたことから、リニューアルオープンの時期も遅れることが予想されます。
休苑前の馬事公苑は競技会場があり、散策路があり、お花畑があり、馬が好きな人にはもちろん、馬に興味のない人でも楽しめる公苑でした。散策路は、馬の練習用コースということもあり、横幅が広かったり、アップダウンがあったりと他では味わえない感覚があります。
馬事公苑では、オリンピック・パラリンピック終了後、オリンピックのための仮設部分を解体し、緑化整備を中心とした2期目の工事が行われます。そして馬事公苑がある世田谷区も馬事公苑界わいの構想を考えています。具体的にはオリンピックの記憶が残る界わいづくりも方針の一つに入っています。
リニューアル後は馬事公苑はもちろん、その周辺も更に魅力ある「馬事公苑界わい」として、魅力的になっていることでしょう。

まとめ

馬事公苑は、結果的に開催できなかった1940年のオリンピックに向けて開設され、1964年、2021年の東京オリンピックで馬場競技会場として使われてきました。
JRAが運営する馬事普及の拠点になっていますが、それだけでなく、地域の人の憩いの場にもなっています。競馬ファン、乗馬ファンに限らず、さらに魅力的な馬事公苑としてリニューアルされることを、今は楽しみに待ちましょう。

 

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