馬と人間の関係の歴史
馬の祖先について
現在、私たちが目にする馬は、乗用馬か競走馬がほとんどではないでしょうか。しかし、馬と私達人間は、昔は別の関係性を持っていました。例えば、広い土地を耕すための農耕馬、人や荷物を運ぶ輸送用の馬、戦闘時に騎乗する軍用馬など、馬は人間の生活に役立ち、親しまれてきました。
しかし、馬は最初から人間と生活をしていたわけではなく、人間にとって食料であり、狩猟の対象となっていた時期もあります。
そんな馬の始まりはいつでしょう。祖先はどんな動物だったのか、みていきましょう。
エオヒップス・ヒラコテリウム
馬の祖先は5500万年前頃に北米に現れた「エオヒップ」と言われています。現在の馬と違って、前肢に4本、後肢に3本の指があり、体高30㎝ほどでした。森林地帯に生息して、木の葉や木の実を食べていたと推測されています。
同じころ、ヨーロッパに「ヒラコテリウム」という同様の動物も生息していました。
その後、活動の場は森林から草原になり、それにより食べ物も草が主流になり、歯も草をすりつぶしやすい形状に進化しました。また、走ることの進化も始まり、手足は体に対して長くなりました。
プリオヒップス
500万年頃前に「プリオヒップス」が現れました。体高は1m以上で、指は完全に退化しており、より速く走れるようになりました。
エクウス
100万年前になると、馬・シマウマ・ロバなどの祖先になる「エクウス」が現れました。体高も約120㎝になり、草を食べやすいように首も長くなってきました。そして、広い視野を得るために目の位置も変化し、現在の馬に近い形になってきました。
エクウスの生息地は全世界に広がりました。そして、世界各地の環境に合わせ進化しながら、人間に家畜化され、品種改良がおこなわれるようになりました。
馬の家畜化はいつ頃から?その背景は?
家畜化とは、人間が馬を家畜として飼い慣らすことをいい、その目的や時代、地域はいくつかあります。人間が馬を利用する目的としては、食肉用、農耕馬、乗用馬など多岐にわたります。
ここでは馬と人間の関係についての歴史を紹介します。
家畜化のスタート
野生の馬を飼い慣らし、家畜化したのはどのような目的、背景からだったのでしょうか。そしてその歴史のスタートはいつだったのでしょうか。
食肉用として
紀元前4000年前には、ウクライナでは食肉用として家畜化されました。それよりもっと前から、ヒツジやヤギ、豚、牛などは食肉用として家畜化されていましたが、馬の家畜化は遅れました。理由は、馬は太り難く、食肉用の家畜として適していなかったからです。しかし、冬になるとその地域は降雪地帯となり、ヒツジや牛たちは雪の下にある草を食べる習性がなく、家畜として飼育するのが困難な動物です。しかし馬は、雪の下にある草を、蹄で雪をかきわけて食べていることに気が付き、馬の家畜化を思いつき、始まったようです。
搾乳して乳も
紀元前5500年前のカザフスタン。ここでは食肉用以外に、雌馬から搾乳を行い、乳も使われていました。動物の乳というと、牛やヤギがイメージしやすいかもしれませんが、馬の乳も搾乳し生活に使われていたのです。また、野生の馬からは搾乳をしないため、ボタイ遺跡から馬乳の脂肪分が付いた陶器が出土したことは、大きな発見になりました。
騎乗用として
ウクライナのデレイフカ遺跡から、食事のゴミとして出土する馬の骨とは違い、騎乗用として使われた馬の骨が出土しました。具体的には、大臼歯に摩耗が見られ、このことから、馬具が取り付けられていたことわかりました。また馬具も頭骨の近くから出土されています。そして、7~8歳の雄であったことも騎乗用であったことを裏付けています。なぜなら、馬は4歳で体格の成長が止まるので、食肉用であれば7~8歳まで生かしておく必要がないのです。
他にもこんな目的の馬も!
時代や環境と共に、農耕馬、馬車馬、軍用馬など馬の利用方法も幅広くなりました。また、馬革(コードバン)としても使われるようになりました。コードバンは牛革よりも滑らかで強度も強く、透明感のある光沢もあります。また使い込んでも上品さは衰えず、渋みが増し、「革のダイヤモンド」と呼ばれ、財布やランドセルにも使われています。
さらに、馬油は解熱効果があるとして、民間薬として使われるようにもなりました。
日本の馬の歴史
日本国内では、馬と人間はどのような関係性から始まったのでしょうか。多くに人は、学生の頃、社会の教科書等で馬形埴輪を目にしたことがありませんか。日本では、この頃には馬と人間の関係が始まっていたことがわかります。日本の馬の歴史はいつから始まったのでしょうか。
氷河期の日本列島は、ユーラシア大陸と地続きで馬が存在していました。しかし、氷河期が終わると日本列島は、森林化し、草原がなくなり馬にとって適さない環境になりました。そして、馬は絶滅しました。
古墳時代になって、朝鮮半島南部から軍事用の馬が輸入され、九州から広がり5世紀後半には、日本各地に広がりました。そして古墳からも馬の骨格や馬具、馬形埴輪が発掘されるようになりました。
飛鳥・奈良時代になると通信手段として乗用馬が活躍し、軍用馬としても騎馬隊が活躍するようになりました。また一部、食肉としても利用されるようになりました。
平安時代になると競馬がでてきて、勝敗により物品をやり取りする行為も行われました。もともと競馬の起源は、武術の研鑽とされていましたが、貴族社会では神事などの行事ごと、娯楽へと変わっていきました。
戦国時代では、ご存知のように馬はなくてはならないものになりました。武士たちは、騎馬弓射に依存するようになりました。また、敵に嚙みついたり、蹴とばしたりする気性の荒い馬を好み、このような馬を乗りこなす人はもてはやされていました。
江戸時代になって、外国産馬の輸入が始まりました。そして太平の時代になると軍馬の需要は減り、市民経済の発展に伴って荷物を運ぶ荷馬や農耕馬が増えました。
明治4年には、平民にも乗馬が許可され、娯楽としての乗馬の道が開けました。太平洋戦争後、道路が整備され車が普及するまで、馬は農耕、荷馬と実用的な家畜として活用されていましたが、農業の機械化、車の発達により馬の数も仕事も減少しました。
馬は森林や原野の生態系の管理者
馬は古くからさまざまは形で人を助け、親しまれてきました。しかし、馬は人だけでなく、森林や原野の管理者の顔も持ち、それらを守ってきました。
例えば、美しいシラカバの風景を直接でも、写真やガイドブックなどででも見たことがある人はいると思います。そこに馬を放すととどうなるでしょう。馬はシラカバの木の皮は食べずに、下草だけを食べます。理由は、シラカバの木の皮は薄く、油性成分が多く、また栄養分は少ないことを、馬は本能的に知っているからです。一方、下草は食べてくれるこということで美しい観光地作りに一役買っていることになります。このシラカバは一つの例ですが、このように馬は、森林や原野の管理者となっています。
まとめ
日本国内の馬と人間の歴史をみても、時代によって軍用馬が多かった時代、荷馬が多かった時代、農耕馬が多かった時代があったように、馬と人間の生活は密接なものでした。
現在、なかなか馬と触れ合う機会はなく、一部の人が乗馬や競馬を楽しんでいるだけです。しかし、最近乗馬のダイエット効果や癒し効果が話題になっています。今後、馬と人間の関係がどのように変化していくのか楽しみです。