馬術、と言っても馬車競技って知ってる?
馬車の歴史
馬車の歴史はいつから始まったのでしょう。馬車はヨーロッパでは貴族たちの乗り物、アメリカでは西部開拓時代の幌馬車など地域により利用の目的は違いました。日本での馬車の始まりをご存知ですか。日本ではあまり馴染みがない馬車の歴史について紹介します。
海外での馬車の歴史
人を乗せたり、荷物を運ぶための馬車。その歴史は驚くことに紀元前から続いているようです。紀元前2800~2700年に古代メソポタミアの遺跡から、馬車の粘土模型が発掘されました。この馬車は、チャリオットと呼ばれる2頭立て2輪の戦車でした。この頃の車輪は丸太を切り抜いただけの車輪に固定された車軸がついていたものでした。馬車の戦車というのは日本人には馴染みがないかも知れませんが古代オリエント世界と中国の商から周の時代で広く使われていたようです。
その後、古代ローマでは戦車が戦闘用だけでなく、娯楽として競走に使われ、スポーツとなりました。しかし、このスポーツは、御者にとっても馬にとって怪我や死に至ることも珍しくないほど危険な競技として人々の関心を集めるものでした。
16世紀後半になるとヨーロッパの諸宮廷で馬車の利用が流行り、貴族階級の移動手段になり、それに伴い、建築や都市計画にも影響が出てきました。そして、走行時間によって料金が設定されている辻馬車がロンドンやパリで登場しました。タクシーやバス、鉄道の先駆けです。
19世紀、パリでは衣服を汚さないために馬車を利用するのが上流階級の証となり、アメリカでは西部開拓時代、開拓民が幌馬車を組み、西部に移住していきました。このように地域や環境によって馬車の使い方に違いがあります。しかしその後、車の登場、発展と共に馬車は世界的に衰退していきました。
日本での馬車の歴史
日本で馬車が使われ始めたのはいつでしょう。日本では馬は騎馬として使われていましたが、馬車はなかなか普及せず、牛車が多く使われていました。しかし、1866年(慶応2年)に幕府が、江戸市中と五街道に荷物輸送のために馬車の利用を許可しました。そして、1869年になって東京-横浜間を乗客輸送用として乗合馬車の営業が始まったようです。
それを機に日本各地で農業や資材輸送のために馬車が使われるようになり、1881年には東京-大阪間で郵便や荷物輸送馬車の定期路線が開通しました。
旧日本陸軍では終戦まで機械化が進まず、馬が大砲などを牽引していました。
どうして日本は馬車より牛車だったのか
日本ではどうして、馬車は牛車のように普及しなかったのでしょうか。それにはいくつか理由があります。
最初に、日本の馬文化は朝鮮半島経由で入ってきましたが、朝鮮半島もヨーロッパのような戦車の文化ではなく、騎馬中心の文化でした。そのため日本も騎馬中心の馬文化になったと考えられています。
次に、日本には馬が少なく、貴重な動物であったため、「神馬」といったように権力者の象徴のようでもありました。そのため、そんな動物に荷物を曳かせるという発想がなかったようです。
そして、気候と地形の問題から馬車を自由に走らせるスペースがなかったということも普及しなかった理由の一つとも言えます。
馬車競技の種類
現代では、世界中で車や鉄道が発達、普及し、馬車をみる機会が少なくなりました。日本でも観光地か儀礼的な行事のみでしか馬車を見る機会がないのではないでしょうか。
しかし、海外ではスポーツ競技として馬車が残っているところもあります。競馬やオリンピックのように、なかなかテレビで見る機会がありませんが、種目も複数あり、観ていると御者の燕尾服にシルクハット、馬たちの上品な立ち振る舞いに、昔のヨーロッパの貴族たちを思い起こしたり、複数の馬による迫力やスピード感に圧倒されたりと、馬車の魅力を感じることができます。
馬車競技は「ドレッサージュ」「マラソン」「コーン障害」の3種目を3日間かけて行います。それぞれの種目について紹介します。
ドレッサージュ
馬車のドレッサージュは、馬場馬術のように美しく、正確に動かすことができるかという点を審査されます。そのため、馬が清潔で整えられているか、人もスマートな服装をしているか、複数の馬を使う場合にはハーネスも統一されているかなども細かく審査されます。
競技には、16個の動きがあり、それぞれ0~10点で採点されます。審査員は下位レベルでは1人のこともありますが、レベルが上がるにつれて、動きも、審査員も増えて、国際大会では5人の審査員が審査します。馬の発進や停止はもちろん、複数ある馬の歩き方も競技の中に組み込まれ、正確に馬を歩かせているかも審査されます。
マラソン(クロスカントリー)
馬車のマラソンとは、マラソンといっても整備された平坦な道を長距離走るのではなく、屋外にある急な丘や曲がりくねった道、木や水、柵などの障害を人と馬が超えていくものです。この種目は、馬車のクロスカントリーとも言われています。
距離は10~22㎞で、馬のスピードの他に、持久力、スタミナ力、ドライバーの知識が必要になります。ドライバーはいち早く「危険」という障害を見つけ、どのように対応するか判断し、馬はそれに応えるために機敏な動きが求められます。スリリングな競技のため、観客も引き込まれます。
しかしこの種目は、距離が長いため、競技によって途中に休憩があったり、馬が走行継続が可能か獣医が検査する時間が設けられることもあります。
コーン競技
コーン競技は、馬術でいう障害飛越競技イメージで、スピードや精度、従順のテストになります。馬車は障害飛越競技のように飛ぶことはできませんが、最大20ペアのコーンを通り抜け、審査されます。難易度は、コーンの幅がキャリッジホイルより50~22㎝とレベルによって分けられます。そして、そのコーンの上部にはボールがあり、当たるとボールが外れペナルティが付きます。コースを見てみると、急なカーブがあったり、ゆっくり慎重に進みたい個所もありますが、コーンセクションの制限時間を超えるとペナルティが付きます。
日本ではなかなかお目にかかれない
馬車競技は、残念ながら日本ではなかなか見ることができませんが、世界ではスポーツ競技として、国際大会も開催されています。中でもDriving Valkenswaard International(DVI)は、世界トップクラスの馬車競技の大会で、3種目の競技をみることができます。それぞれの種目ごとに見どころはそれぞれ違いますので、まずはYouTube等で視聴してみることをおすすめします。
以下にボイド・エクセル選手(オーストラリア)のドレッサージュ(2017年)を紹介します。なかなか日本ではみられない、うっとりするほど美しい競技の様子を見ることができます。
まとめ
現在の日本では、観光地くらいでしか目にすることがない馬車。その馬車は連日、多くの観光客を乗せています。
しかし、馬車の歴史をみてみると、戦車として使っていた時代と場所があり、貴族の移動手段、富裕層のステータスとなっていた時代と場所があり、鉄道やバスなどの先駆けとして利用していた時代と場所がありました。
このように馬車は、人間の生活に密接に関わっていましたが、現在はスポーツ競技として残っています。
馬車競技では、馬も人も馬車もすべてが、美しくもあり、パワフルでもあり、スリリングでもあり、見どころが溢れています。「百聞は一見に如かず」です。一度、視聴してみてはいかがでしょうか。