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【馬術が競技になるまで】馬術の起源

いよいよ来月から始まるパリオリンピック。馬術はヴェルサイユ宮殿を見渡せる美しい競技場にて7月27日〜8月6日の日程で行われます。オリンピック競技としては長い歴史を持つ馬術ですが、そもそも競技としては、どのような起源をもつのでしょうか。この記事では、動物と人間がパートナーを組む唯一無二である競技の由来にスポットを当てていきます。

いつ頃から始まったの?

【馬術が競技になるまで】馬術の起源

馬術がいつ頃生まれたものなのか、ご存じですか。その起源は古代ギリシアにあると言われています。紀元前400年ごろに世界最古の馬術書である『馬術論』が世に出ました。著者のクセノフォンは、「無知の知」で知られる古代ギリシアの哲学者・ソクラテスの弟子でありながら、軍人としても出世を遂げた多才な人物でした。当時、馬は戦闘に使われるものであり、クセノフォンの著書でも軍用馬の扱い方や馬を使った戦術について記述があります。しかし、「馬が怖がったら、怒らないで落ち着かせる」や「騎乗者の指示に従ったら褒める」など馬の精神面に関する記述も多くあり、今の馬術と通ずるところもたくさんあります。クセノフォンは戦闘で有利に戦いを進めるためには馬と人間の心が通っていることが大切だと考えていたようです。馬の心理に配慮しながら、「馬を自然に動かす」という考え方が現代の馬術や乗馬につながっていることからも、クセノフォンの著書が多大な影響を与えてきたことは想像に難くありません。

マケドニアの王で軍人としてもすぐれていたアレクサンドロス大王もクセノフォンの著書をよく学んでおり、馬術に長けていたそうです。長年にわたって大王に仕えた愛馬のブケパロスはもともと、アレクサンドロス大王の父であるフィリッポス2世への貢ぎ物でした。しかし、フィリッポス2世を目の前にしてブケパロスは暴れ始めてしまいます。そこに現れたアレクサンドロス大王はあっという間にブケパロスをなだめてしまったそうです。アレクサンドロス大王はブケパロスが自分の影を見て怯えていることに気づき、頭の位置を変えて事態を収拾させました。ブケパロスはインドのポロス王とのヒュダスペス河畔の戦いで戦死します。死後は手厚く葬られ、アレクサンドロス大王は勝利した戦地に築いた新しい都市の名前をブケパロスにちなんで「アレクサンドリア・ブケパロス」と名付けたと伝わっています。

発祥国と馬術発展の経緯

【馬術が競技になるまで】馬術の起源

ルネサンス時代の貴族たちは、お祭りのような催し物を開き、素晴らしい技術を持った人馬の技を披露するようになりました。このころに馬術の芸術性が確立され、馬場馬術はこの流れをくんでいます。また、馬の調教技術も確立され、これが古典馬術として発展してきました。古典馬術の参考にされたのもクセノフォンの『馬術論』。この時期の馬術は『馬術論』を評価や研究することから始まりました。

16世紀後半には古典馬術の学校として有名なスペイン式宮廷馬術学校がウィーンに設立されました。現在でも、アンダルシア種などの混血種であるリピッツァーナー種が魅せる高等技術をバロック様式の美しいホフブルク王宮内の室内馬場で観覧することもできます。ちなみに16世紀の日本は室町時代や戦国時代のころ。このころまでに馬の調教技術が確立されて、乗馬学校まで設立されたのは、馬術の本場であるヨーロッパならではですね。

障害馬術は狩猟、特にキツネ狩りにそのルーツがあるとされています。18世紀にイギリスで囲い込み法が制定され、あらゆる土地に障害物が設置されました。そのため、狩猟に向かう馬たちはこの障害物を越える必要があったのです。また、同じころ、フランスでは障害物を飛越する馬のショーが流行していました。このような時代の流れから、ホースショーで障害飛越が競技として行われるようになり、やがて定着していきます。

総合馬術は騎兵隊の馬の適性検査にそのルーツがあります。そのため、初めてオリンピック競技とされた1912年のストックホルム大会では、参戦が許されたのは軍人のみでした。複数の競技を組み合わせることによって、スピード、スタミナ、精神力、技術、身のこなしなど、馬の総合的な能力を確認し、軍人のパートナーとして相応しいかを判断したのです。

オリンピック競技としての発展

【馬術が競技になるまで】馬術の起源

1900年の第2回パリ大会から障害馬術が採用されました。1912年のストックホルム大会から馬場馬術と総合馬術もオリンピック競技となります。当初は軍人である男性のみにに参加資格が与えられていましたが、1952年のヘルシンキ大会からは女性の参加も認められ、男女混合で競う現在のスタイルになりました。

また、馬術を含む近代五種は「近代オリンピックの父」であるピエール・ド・クーベルタン男爵が創設し、1912年のストックホルム大会から採用されています。水泳、フェンシング、レーザーランとともに馬術が行われていましたが、2021年の東京大会でドイツのコーチが馬を殴ったことなどが問題となり、今年のパリ大会を最後に除外されることが決定されました。2028年のロサンゼルス大会では馬術の代わりに障害物レースが採用されます。ただし、オリンピック以外の大会では従来通り、馬術が採用されており、近代五種から馬術が完全に消えたわけではありません。

まとめ

今回は馬術が競技になっていくまでの起源について、まとめてみました。馬術の起源が戦闘に使っていた馬の扱いにあったとは少し複雑な気持ちになります。クセノフォンもアレクサンドロス大王も馬術に長けていた歴史上の人物も馬の気持ちを大切にしていたと知ると少し親近感がわいてきますね。パリオリンピックでも人馬の心を通わせた素晴らしいパフォーマンスが今から楽しみです!

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