【乗馬と埴輪】埴輪が物語る古代ロマン、馬は人々の権威の象徴だった?!

日本に住んでいるとテレビや学校の教科書などで埴輪を目にしたことがある人は多いと思います。古墳の周りに並べられていたという埴輪は、筒や壺の形をしたもの・人の形をしたもの・動物の形をしたものがあります。
動物の形の埴輪の中でも、とりわけ馬の形のものが有名ではないでしょうか。古墳時代、なぜ埴輪をつくることになったのか、なぜ馬の形の埴輪が多いのかを紹介します。

なぜ古墳の周りに埴輪が多く並べられたの?

埴輪が作られた時代については、「社会の授業で勉強した!」という人もいると思います。しかし、そのときの主役は埴輪ではなく、古墳や古墳に眠るその当時の権力者だったのではないでしょうか。
ここでは埴輪にスポットライトを当て、その頃の人間と馬の関係について説明します。

土偶と埴輪、まちがえないで!

最初に埴輪と勘違いしやすい土偶との違いについて説明します。
土偶は、縄文時代に土で作られた人の形をしたものです。女性の形をしているものが多く、子孫繁栄・豊作・魔除けの意味がありました。大きさは2~50㎝ほどになります。
一方埴輪は、古墳時代の素焼きの土器で人の形をしたもののほかに、動物の形、家の形、船の形・筒や壺の形などさまざまです。大きさは数十㎝~1mを超えるものもあります。

埴輪の起源?

埴輪が作られるようになった経緯について、720年に完成した「日本書紀」に記載があります。それによるとそれまで天皇が亡くなると、生きた人間や動物も一緒に古墳に埋めていたところ、それがあまりにもかわいそうという考えから人間や動物の形をした埴輪を作り古墳に埋めたとされています。
しかし、これは考古学的には違っていたといわれています。考古学的な観点でみると埴輪はどのように作られるようになったのでしょうか。詳しくみましょう。

埴輪の形は時代を表す

古墳時代とは3~7世紀頃と実に長い間続きました。この時代の流れの中で埴輪の形は変わっていきました。
最初の頃は壺形の埴輪が古墳の周りに並べられていましたが、次第に筒形埴輪、家形埴輪、盾などの武具の形の器財埴輪が登場しました。
西暦400年代になると動物形の埴輪が作られ、しばらくすると人の形の埴輪が作られるようになりました。
このように埴輪の形はその時代を表し、古代ロマンに思いを馳せる道標になります。

埴輪が並べられた理由

埴輪が古墳に並べられた理由は、その古墳に葬られた人が、死後も埴輪の形をしたものについて不自由しないように、という思いを込めて古墳の周りに並べられたといわれています。
力がある人ほど大きな古墳が作られ、その周りには多くの埴輪が並べられました。教科書やテレビでみると埴輪の大きさが分からないかもしれませんが、1mを超えるものもあります。
古墳は死者を葬った場所で、埴輪はその聖域を守る意味もあったともいわれ、信仰的な要素もふくまれています。

馬形埴輪は動物埴輪の中でも特別な存在

馬形の埴輪以外に動物の埴輪があるのをご存知でしょうか。馬形が有名ですが実は、馬以外に犬・猪・鹿・牛・猿・ムササビ・魚・鶏・水鳥・鷹など、さまざまな動物がいます。そしてこれらの動物は2つのグループに分けられます。

埴輪になった動物

そもそも当時、動物埴輪になった動物以外にも日本にはさまざまな動物がいました。ではなぜ埴輪になった動物と埴輪にならなった動物がいるのでしょうか。
それは、古墳に並べられる動物埴輪は葬られる人と動物の関係性を表していることが考えられます。それを裏付けるかのように、埴輪の並ばせ方や順番にも意味があったようです。

動物の分類

埴輪になった動物には2つのグループに分けられます。1つ目は人間にとって身近な存在で家畜や家禽で、馬・牛・鶏などになります。
2つ目は、狩りや信仰の対象としていたもので、鹿・猿・猪・水鳥などになります。当時の狩りは遊びや趣味ではなく、天皇や貴族による儀式でもありました。そのため、狩りの対象になる動物の他に、猟犬となる犬の埴輪もあります。このとき、埴輪の並べ方も猟犬のそばに狩りの対象となる動物が置かれていたりしたようです。
また鳥は時間を知らせる鶏・季節を知らせる渡り鳥などがおり、神聖は生き物とされていました。そして水鳥は水かきがあることで死者の魂を運ぶとされ、信仰の意味で埴輪として作られていたようです。

馬形埴輪の種類

もともと馬は日本にはいませんでした。古墳時代中期になり、朝鮮半島から牛と同様に日本列島に渡来人により入ってきました。
そして馬は、軍事(儀式)・輸送・農耕に使われ、人間の生活に密接な関係をもつ存在になりました。
人の形をした埴輪も男性・女性・子供など種類があるように、馬形埴輪にも飾り馬・鞍馬・片手綱・裸馬と馬装の違いがあります。
その中でも飾り馬が一番上位とされていますが、飾り馬の中でも馬具の豪華さに違いがあります。また、馬具の中には女性が座るための馬具を付けている馬もおり、そのような馬形埴輪が多く出土している古墳は女性が葬られている古墳になっています。
もし馬の埴輪を目にすることがあれば、是非注意深く見てください。たくさん存在する馬の埴輪ですが、それぞれの意味があること、そして当然ですがその当時の人による1つ1つ手作りのものであったことに古代のロマンを感じるのではないでしょうか。

馬形埴輪、どこで見れるの?

当時の人たちの思いがこもっている埴輪はどこで保管されているのでしょうか。出土された数の多い馬形埴輪はどこで見ることができるのでしょうか。
テレビや教科書だけでなく、実際に埴輪を見てみると当時の人と馬の関係性を垣間見ることもできます。

出土されたものはどうなるの?

文化財保護法では、埋蔵文化財の存在が知られている土地において土木工事をする場合は、都道府県・政令指定都市等の教育委員会に事前の届け出を行うとされています。そして、新たな遺跡を発見した場合にも届け出を行います。そして出土したものについて、明らかな所有者がいなければ所管の警察署長に提出します。
その後、都道府県・政令指定都市等の教育委員会が提出されたものが文化財かどうか調査します。そこで文化財と判断され、所有者が判明しない場合、その文化財は都道府県に帰属されます。

どこでみれるの?

埋蔵文化財は国民の共有財産という考え方から、広く一般に公開されるように努められています。
文化庁では、全国から話題を集めたものを展示し、全国を巡回する展示会を開催しています。また、地域によってはその地域から出土した埋蔵物を博物館などで展示している場合もあります。
特に群馬県では馬形埴輪が多く出土されています。古墳大国の群馬県では、動物埴輪のうち90%が馬形埴輪であったといわれ、その数は350例にもおよぶといわれています。
そんな群馬県では馬形埴輪だけでなく人形埴輪をみることができます。

余談:馬と比べて圧倒的に少ない牛の埴輪の話

牛は、馬と同じ時期に朝鮮半島から日本列島にやってきました。ところが埴輪の数を比較すると牛が圧倒的に少なくなっています。
なぜ、こんなにも違いがあるのでしょうか。

馬と牛の違い

牛や馬が日本列島に来た頃、どちらも主に開拓のために使われていたとされています。しかし、牛が農耕や荷物の輸送のために使われ続けている間に、馬は農耕や輸送だけでなく軍事・神事・儀式にも使われるようになりました。
海外でも馬は戦いに使われています。また神社にある絵馬も『馬』が使われています。牛がいつまでも人間にとって所有物であり続けたのに対し、馬は権威の象徴となっていったことがわかります。
そうなると古墳に並べるなら馬を選ぶのも納得できます。

牛の埴輪の数

牛の埴輪の数は日本で4つだけ見つかっています。圧倒的に少ないのがわかります。またこれら牛の埴輪は、馬のように種類があったり、馬具による違いなどはありません。

まとめ

遠い昔の古墳時代。同じ日本でも今では考えられない生活をしていました。そんな時代があったことを思い出せるように、この時代でも埴輪が出土されています。
出土された埴輪を見ると人形であったり、動物形であったり、壺型や武具の形をしたものもあります。その中でも代表的なものといえば人形と馬形の埴輪ではないでしょうか。
このことからも遠い昔から人間にとって馬は、単なる家畜だけではなく、特別な存在であったことがわかります。

 

新着記事