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【伝統競技】騎馬打毬(きばだきゅう)について

みなさんは騎馬打毬(きばだきゅう)という競技をご存知でしょうか?騎馬打毬は“日本版ポロ”ともいえる競技で長い歴史がありますが、観戦できる機会の少なさゆえに知名度はあまり高くありません。今回の記事では、そんな騎馬打毬の起源や歴史のほか、現在もみられる青森県八戸市の騎馬打毬について紹介します。

起源

【伝統競技】騎馬打毬(きばだきゅう)について

騎馬打毬のルーツをたどると、古代ペルシャの軍事訓練にたどり着くといわれています。ずいぶん日本から遠い土地にルーツがありますが、そこからどのように日本まで伝わったのでしょうか?

古代ペルシャでの誕生

騎馬打毬の起源は、紀元前5世紀頃の古代ペルシャ(現在のイラン周辺)にまでさかのぼります。古代ペルシャは騎馬文化の盛んな地域で、この競技は戦士たちの騎馬技術やチームワークを鍛えるために「チョーガン」という競技を考案したといわれています。

競技の主な内容は、馬に乗ったまま木製のスティックでボールを打ち、相手チームのゴールに得点すること。この競技が広まってイギリスに取り入れられたものがポロであり、日本まで伝来したものが騎馬打毬。ルールや道具に違いはあれど、競技の様子がポロと似ているのも納得ですね。

アジア地域への広がり

古代ペルシャで生まれたチョーガンは、交易や戦争を通じてアジアにも広がりました。特に、騎馬民族の多いトルコでは競技が盛んで、また同じく騎馬文化が色濃いモンゴルでも行われたようです。

さらに、中国では唐代になってから「打毬」または「撃鞠」といった名称で親しまれ、貴族や軍人の間で人気を博したのだとか。その後は、中国から朝鮮半島を経て日本にも伝わり、現在に至るまで伝統競技として続いています。

日本への伝来

【伝統競技】騎馬打毬(きばだきゅう)について

中国や朝鮮から日本に伝わった打毬(撃毬)ですが、国内ではどのように広まったのでしょうか?また、現在ではほとんど見る機会がなくなってしまったのはなぜなのでしょうか?

日本への伝来

騎馬打毬が日本に伝わったのは、平安時代末期とされています。この時代は唐(中国)から多くの文化が流入して、日本に文化的影響をもたらした時期。騎馬打毬も唐文化のひとつとして日本に伝来し、貴族社会の中で遊戯として受け入れられたと考えられます。

余談ですが、平安時代の女性・紫式部の生涯を描いたNHKの大河ドラマ「光る君へ」では藤原道長が騎馬打毬に興じる様子が演じられているので、興味がある方は見てみてくださいね。

その後は平安時代が過ぎ、貴族中心だった時代が終わりに近づき武士階級が台頭。すると、これまで貴族に好まれた騎馬打毬に関心を持つ武士も出始めたそうです。こうした背景の中で、騎馬訓練の一環としての騎馬打毬に注目が集まるようになりました。

日本での発展と衰退

鎌倉時代から室町時代にかけて、騎馬打毬は武士の間で盛んに行われるようになりました。特に、馬術と武芸の技能向上を目的とした訓練として重視され、戦国時代には軍事訓練の一環として一般的に行われていたようです。

しかし、戦国時代末期から江戸時代にかけて、戦いが減少するとともに、騎馬打毬の実用性は低下。江戸時代中期に八代将軍・徳川吉宗が騎馬の訓練として推奨したことで再び諸藩で行われるようになりましたが、最終的には、明治時代の西洋化の波によって西洋式の騎馬技術に押され日本古式の馬術そのものとともに騎馬打毬も衰退したと考えられます。

八戸の騎馬打毬

【伝統競技】騎馬打毬(きばだきゅう)について

スポーツとしては日本で見かけることはなくなった騎馬打毬ですが、現在も神社で奉納される神事の一つとして観戦できる機会があります。

八戸の騎馬打毬の概要

現在、日本国内で騎馬打毬を観戦できる数少ない機会の一つが、青森県八戸市の長者山新羅神社で行われる「加賀美流譜伝八戸騎馬打毬」です。この騎馬打毬は1827年、新羅神社の改築が完了した際に落成を祝って八戸藩主が奉納したのが始まりといわれています。

現在、日本で騎馬打毬を伝承しているのは八戸騎馬打毬のほか、宮内庁豊烈神社(山形県)だけ。宮内庁の古式馬術は一般に公開される機会がほとんどないため、見に行けるのは日本で2カ所だけといってもよいでしょう。

試合は8人の騎馬武者が4騎ずつ赤軍・白軍に分かれて行います。武者は毬杖と呼ばれる先端に網の付いた長い棒を操り、網ですくった球を門(ゴール)めがけて放ちます。

見どころ

八戸の騎馬打毬では、色鮮やかな伝統衣装に身を包んだ騎馬武者たちが、歴史ある競技場で熱戦を繰り広げます。観客にとっての最大の見どころは、馬と人の一体感!馬を自在に操りながら、巧みな毬杖さばきでボールを奪い合います。

そして、馬好きなら見逃せないのが八戸騎馬打毬に登場する馬の品種。ほかの団体では洋種の馬が使用されることが多いですが、八戸で活躍している馬たちは「北海道和種」という在来馬。

在来馬とは、西洋からサラブレッドやアラブ馬などが入ってくる以前から日本にいた馬たちのことです。日本の地形や気候に合った品種として昔の日本では在来馬たちが人の生活と深くかかわっていましたが、騎馬打毬と同様に明治時代の西洋化の波にのまれ数が減少。現在では、限られた地域でしかその姿を見る機会はなくなってしまいました。

装束や騎馬技術だけでなく、品種もふくめて古来の騎馬打毬の姿を楽しみたいなら、ぜひ8月に行われる八戸三社大祭の中日に新羅神社へ行ってみましょう!

まとめ

騎馬打毬は、ポロとルーツを同じくする日本古来の競技です。古代ペルシャから日本へと伝わり、独自の進化を遂げた騎馬打毬。「そんな競技があるなんて知らなかった!」という人も多いかもしれませんが、現在でも祭事・神事の一環として観戦できるので、チャンスがあれば見に行ってみてくださいね。

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