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歴史に名を残した名馬たち

わたしたちは馬の愛らしさや美しさに思わず目を奪われてしまいますが、中でも華麗にそして力強く駆ける競走馬の姿はまた格別。
競馬の世界ではたびたび「名馬」と言われるスターホースが登場します。
その走りは感動を生み、時には心を奮い立たせ、観客を奇跡という一幕の目撃者に仕立て上げるのです。
ここ最近では実際の競走馬をモチーフにした「ウマ娘 プリティーダービー」というゲームが人気を集め、競馬場へ足を運ぶ若い世代も増えました。
若い方にも、競馬未経験の方にも、後世にその名前を残したい4頭の名馬がいますのでぜひご覧ください。

ディープインパクト

歴史に名を残した名馬たち

日本競馬の至宝「ディープインパクト」

距離もコースも異なる皐月賞、日本ダービー、菊花賞のクラシックレースを勝利した無敗のクラシック三冠馬であり、その年の最も優れた馬に贈られる年度代表馬に2005年・2006年と2年連続で選ばれました。

彼は2004年12月にデビューし、2006年12月の有馬記念を以て引退となりましたが、2024年の歴代名馬ランキングでも今なお1位の座を譲らず高い人気を誇っています。

14戦12勝という圧倒的な強さ、格式高いG1レースで7度もの勝利を収め、失格となってしまったフランス凱旋門賞を含む14戦全てにおいて1番人気であったことから、競馬ファンの期待をいかに背負っていたかがうかがえます。

当時から天才と言われていた武豊を背に乗せ、「走っているというより、飛んでいるような感じでした。」と言わしめたのは有名な話。
まさに飛ぶような末脚を繰り出し、先頭に躍り出たと思ったらあっという間にゴールを駆け抜ける姿はヒーローそのものでした。

オグリキャップ

歴史に名を残した名馬たち

第2次競馬ブームを巻き起こした立役者「オグリキャップ」

時はバブル景気真っ只中の1980年代後半から1990年代前半。その競馬ブームを先頭で率いていたのは間違いなくオグリキャップです。爆発的にヒットしたぬいぐるみに裏付けられるように、アイドルホースの存在を決定づけ、社会現象にまでなりました。

地方の競馬場である笠松競馬場で1987年5月にデビューを果たした彼は12戦10勝を記録、その後1988年1月に鳴り物入りで中央競馬へ移籍すると重賞6連勝という快挙を成し遂げます。突然現れたスーパーホースはいとも簡単に人々を魅了し「芦毛の怪物」と呼ばれ親しまれました。

しかし晩年スランプに陥ると「オグリは終わった。」と囁かれるように。引退レースとして1990年有馬記念に出走を決めるも、調教でも調子がいいとは言えなかったオグリキャップ。
しかしレース当日、鞍上を任された武豊がスタート直前のゲート裏で「お前はオグリキャップやぞ。」と声を掛けると、それに応えるかのように全盛期のような武者震いをしたといいます。そして見事ラストランを勝利で飾ると、奇跡さながらの復活に中山競馬場は17万人を超える観客のオグリコールで揺れました。

「オグリより強い馬は生まれても、オグリより愛された馬はいない」と言われるように、彼が愛された理由は強さだけではありません。パドックでもレースでも芦毛の馬体は目を引き、大食いエピソードには事欠かず、当時の調教師曰く泳ぐのが下手という一面も。地方から中央へフィールドを移してなお活躍する、適正距離の広いオールラウンダー。オグリローテと称される今では考えられないハードなローテーションをこなし、同期のライバルたちとの熾烈な戦いがファンを熱くさせました。

ナリタブライアン

歴史に名を残した名馬たち

シャドーロールの怪物「ナリタブライアン」

中央競馬史上5頭目、平成最初のクラシック三冠馬です。
皐月賞は3馬身半、日本ダービーは5馬身、菊花賞では7馬身と、クラシックレースを重ねるごとに2着との差を広げていき、圧倒的な強さを以て至極当然の如く三冠馬の称号を手に入れました。その年の有馬記念も古馬との初対戦にも関わらず圧勝、そして1994年の年度代表馬に選ばれています。

しかし1995年の春、全盛期の最中に股関節炎を発症し、レースからの離脱を余儀なくされてしまいます。レース復帰後もなかなか勝ちに恵まれずにいる中、名勝負と呼ばれる1996年の阪神大賞典ではマヤノトップガンとの一騎打ちをハナ差で制して勝利を掴みました。
そして結果的にラストランとなったレースを経て後日、屈腱炎を発症していたため引退を決断することになります。

21戦12勝という三冠馬としては目を引く戦績ではないかもしれませんが、故障以前のターフを駆ける雄々しい姿や勝利を積み上げていった確かな強さは鮮烈に人々の記憶に残り、それ故にナリタブライアンこそが最強馬と信じるファンも数多くいるのです。

ちなみにナリタブライアンが年度代表馬になった前年、1993年は母が同じ半兄のビワハヤヒデが年度代表馬。同じ時代、兄弟それぞれがレースで1着を攫っていく姿は人々を熱狂させました。ビワハヤヒデの引退で対決は叶いませんでしたが、当時は兄弟でG1ホースというのは珍しかったようです。

トウカイテイオー

トウカイテイオー

感動を呼んだ復活に次ぐ復活、奇跡の名馬「トウカイテイオー」

中央競馬史上初の無敗のクラシック三冠馬であるシンボリルドルフを父に持つトウカイテイオー。皇帝の別名を持つ父の名から着想を得て馬名に「帝王」が入りました。イケメンぶりと気品あふれる佇まいから貴公子と呼ばれることもあったそうです。

1990年12月のデビューから翌年の皐月賞、日本ダービーと負けなしで二冠を達成。高い注目度と人気に応じてしっかりと実力を見せつけ、父に続く無敗の三冠馬が誕生かと期待が高まりつつあった矢先に骨折が判明します。そのため最後の一冠である菊花賞への出走は叶わぬものとなりました。
休養明けの復帰戦は勝ったものの次の天皇賞(春)ではデビュー以来初めての敗北を経験。そして再度骨折という事態に見舞われます。

2度目の復帰を果たし、ジャパンカップは勝利するも戦績は振るわず、復帰後3戦目の有馬記念では大敗を喫する結果となりました。レース後休養に入って調整を進めていたところ再び骨折が判明。

3度目の復帰は1993年の有馬記念と定め、前走の有馬記念から実に364日ぶりのレースでG1制覇という信じ難い偉業を成し遂げたのでした。これは長期休養明けGI勝利の最長記録として現在も破られていません。

このように骨折という逆境から何度も何度も返り咲いてみせたトウカイテイオー。怪我に泣き手が届かなかった無敗のクラシック三冠馬、その後の度重なる怪我と復活劇、図らずも最後のレースとなった有馬記念で大記録を打ち立て飾った有終の美。比類なき才能を持ちながら、これほどまでに栄光と挫折に満ちた馬をわたしたちは愛さずにはいられません。

まとめ

今回は広く名を馳せた4頭をご紹介しました。ニュースになったりもしたので、もしかしたら名前を知っている馬がいたかもしれませんね。

今やサラブレットの生産頭数は毎年7000頭を超えると言われ、中央競馬いわゆるJRA(日本中央競馬会)で勝ち上がれるのは約30%強、残る60%以上の馬が未勝利のまま登録抹消となるのが現実。

その無情な世界で名馬が作り上げていくドラマは尊く煌めき、数々のエピソードをまとったその名は日本競馬の歴史を華々しく飾ります。

相も変わらずわたしたちは心震わすスーパーホースの登場を待ち望み、きっとこれからも時代を象徴する名馬は誕生するのでしょう。
しかし今日紹介した4頭の馬たちの活躍は、色褪せることなく語り継がれていくに違いありません。

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