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馬が象徴として描かれた代表的な絵画

馬好きの方は雑誌を見ていても、映画やテレビを観ていても、馬が映っていると自然と馬に目がいってしまうのではないでしょうか。今回は、馬が描かれている有名な絵画をいくつかご紹介します。著作権の問題でアップできない絵画もありますが、「こちらもどうぞ!」のリンクから是非、チェックしてくださいね。

ジョージ・スタッブズ《ホイッスルジャケット》

馬が象徴として描かれた代表的な絵画
ジョージ・スタッブズによる蹴歩をしている競走馬の筋肉図

ジョージ・スタッブズは18世紀の画家で、特に馬をモチーフにしていたことで有名です。画家として馬を描き始める以前は、病院で解剖学の勉強をしていました。その後、自分で馬の解剖をして「馬の解剖学」をまとめ、1766年に発表しました。このときのスケッチはイギリスの王立芸術院に所蔵されています。解剖学で得た知識によって、馬の体のつくりを熟知していました。


画家はパトロンより発注を受けて、生計を立てていましたが、パトロンの間でもスタッブズの馬の絵は、当時、有名で人気のあった画家であったジェイムズ・シーモアやジョン・ウートンのものより正確であると評判になっていました。


そんなスタッブズが1762年ごろに描いた作品がイギリスの国立美術館に所蔵されている「ホイッスルジャケット」です。ホイッスルジャケットは、ロッキンガム侯爵の競走馬でした。スタッブズは細部まで正確に描写したと言われています。


それまで、馬の絵は横長のキャンバスに描かれており、影などの背景が書き入れられていました。しかし、この作品には背景はなく、馬の美しさを際立てることができるような構図、デザインになっています。これは当時の常識を覆すものでした。16世紀のスペインの画家で、やはり馬の絵を得意としていたディエゴ・ベラスケスが確立した手法を取り入れたものだと言われています。キャンバスは縦が約3メートル、横が約2.5メートルほどで、馬がほぼ等身大で描かれています。馬に注目してもらうために、乗り手も書き入れていません。馬の美しさが際立つ迫力と繊細さの共存する印象的な作品です。馬好きなら、一度見たら忘れられないでしょう。

ジャック=ルイ・ダヴィッド《サン=ベルナール峠を越えるボナパルト》

馬が象徴として描かれた代表的な絵画
ジャック=ルイ・ダヴィッドの工房
《サン=ベルナール峠を越えるボナパルト》
東京富士美術館蔵 「東京富士美術館収蔵品データベース」収録

画家の名前に覚えがなくても、絵を見れば「ああ!」と思う人は多いはず。ナポレオンの肖像画として、教科書などで目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。ジャック=ルイ・ダヴィットは18世紀のフランス人画家です。「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」を描いたあとにナポレオンに主席画家として任命され、やはり有名な「ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」を描きました。

この作品は、オーストリアに略奪された土地を奪い返すために、1800年ごろにアルプス越えをして、見事に勝利したナポレオンを称えて、スペイン国王が発注したものです。実はこの絵、ナポレオンが自分で追加発注したほどお気に入りのものだったようです。最初の原作はマルメゾン美術館にあり、大きなサイズで描かれたものがヴェルサイユ宮殿などに所蔵されています。東京富士美術館に所蔵されているものは、これらの作品を元にダヴィットの工房が作成したものと考えられているそうです。

ナポレオンは実際には、寒さや悪路に強いラバでアルプス越えをしたと言われています。19世紀に入ると、ある伯爵がナポレオンの資料をたくさん持ちだして、リアルなナポレオンの肖像画を描くよう、フランスで人気を博していた画家のポール・ドラローシュに依頼しました。ナポレオンがラバに乗ってアルプス越えをしている絵画も残っています。

また、「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」をよく見てみると、文字が書き入れてあることにお気づきでしょうか?それまでにアルプス越えをして名をはせたカルタゴのハンニバル将軍とフランク王国のカール大帝の名前が刻まれており、ナポレオンがアルプス越えをしたことにより、過去の偉人に肩を並べたことを示しています。

パブロ・ピカソ《ゲルニカ》

馬が象徴として描かれた代表的な絵画
パブロ・ピカソとバレエダンサーのレオニード・マシーン

スペイン人画家ピカソの「ゲルニカ」はあまりにも有名です。「ゲルニカ」は、スペインの共和国人民戦線政府とフランシス・フランコ率いる反乱軍との間に勃発したスペイン内戦で破壊されてしまった町の名前です。そこに住んでいた罪のない人々や動物たちを象徴として描き、反戦をキャンバスで表現したと言われています。

1937年4月、ゲルニカが反乱軍側についたドイツ軍の空爆を受けて、どんどん破壊されていく様子が新聞で報道されました。その報道によって、ゲルニカの状況を知ったピカソはすぐに「ゲルニカ」の制作に取り掛かりました。実はその年の1月にパリ万博のスペイン館に使う壁画を作成してほしいとスペイン政府より打診を受けていたピカソ。題材が思い浮かばず、制作が進んでいなかったのですが、ゲルニカの爆撃をテーマに一気に作品を完成させました。

「ゲルニカ」には攻撃を受けた人々や動物が描かれています。真ん中には馬が描かれており、爆撃の犠牲者や共和国政府の象徴だと言われています。ピカソはゲルニカの制作時に「スペインを苦悩と死に沈めた軍隊に対する憎悪を表現した」と語っており、人間が「戦争」や「暴力」で失うものを象徴的に表現しています。

「ゲルニカ」は世界中で展示されましたが、ピカソの「スペインの人民に自由が戻るまではスペインに戻さない」という意思に従って、フランコが死去してから5年後の1981年にスペインの地に戻りました。

原作は破損の恐れがあるため、現在は貸し出されていないようですが、群馬県立近代美術館にはピカソの指示のもとに織られたほぼ原寸大のタペストリー3点のうちの1点が展示されています。

徐悲鴻《奔馬》シリーズ

馬が象徴として描かれた代表的な絵画

徐悲鴻(じょひこう)は中国の近代画家です。父に詩文や書画を学びますが、被災して生活が困窮したため、幼いころから絵を描いて、売っていました。大学に入学後は独学でデッサンを身に付けます。日本にも留学しますが、半年で帰国し、その後、フランスに留学します。その際に学んだ西洋画のテクニックを自身の作品に精力的に取り入れました。

徐悲鴻の代表作である「奔馬」シリーズは、力強さとダイナミックさ、繊細さが混在し、独特の味わいの中にも馬が持つ自然の美しさや躍動感を表現しており、中国の国画だと称されるほどでした。切手にもなり、今でも世界中のたくさんの人に愛されている作品です。

まとめ

いかがでしたか。馬がモチーフになっている古今東西の名画をご紹介しました。他にも馬がモチーフになっている作品はたくさんあります。お近くの美術館でお気に入りの「名馬」を見つけてみませんか?

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